宮城県のお城 りふじょう
利府城
別名 村岡城
所在地 宮城県利府町利府城内65
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 館山公園
築城年 鎌倉時代
築城者 村岡氏
歴代城主 村岡氏
形式 山城(比80m、標105m)
登城時間
訪城日 2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
JR東北本線「利府駅」の北北西約800m、利府小学校の背後(北)の山が城跡。利府町役場から200m程北上して右折し、700m程北東へ進んで右折します。この城の北麓にも駐車場がありますが、更に200m程上がっていくと城の直下にも駐車場があります。(利府小学校がある南側からだと車では上がれないと思いますので、北側からアクセスして下さい)
【感想・メモ】
城は館山公園にあり、大きく北東部と南西部に分かれています。北東部は「桜の園」となっていて城址碑や説明板がありますが、これといった遺構は見当たりません。今回、その桜の園以外は立入禁止だったため南西部は行けませんでした。
【歴史】
鎌倉時代、留守一族の有力者であった村岡氏が館を築き代々居住した。永禄12年(1569)、留守氏内部の家督相続問題で、留守氏の血筋を守ろうとした村岡氏は伊達政景(伊達晴宗の三男・後の留守政景)を養子に迎え、伊達氏の勢力下にあって留守氏安泰を図るべきと主張する伊達派と対立した。この時、この村岡城に立て籠もって戦ったが、敗れて滅亡したといわれる。その後、翌永禄13年(1570)、留守氏の養子に入った政景はこの地に移り、村岡城から利府城に名を改めた。政景は天正18年(1590)、小田原不参を理由に豊臣秀吉に黒川郡大谷城へ配置換えを命じられ、利府城は廃城となった。政景は天正19年、伊達政宗により磐井郡黄瀬城に封じられた。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
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