【道案内】 |
城跡の地図 |
|
|
|
金山小学校から国道113号で300m程南下した「金山神社前」バス停付近に鳥居があり、ここを左折すると金山神社で、神社から登城道があり、参道下に駐車場があります。または、国道113号を北上すると通りの右手に「金山城登山口」看板があり、この案内に従うと米蔵跡下の登城口で、1〜2台駐車可能です。 |
【感想・メモ】 |
本丸 |
金山神社から登ると、社殿の背後が屋敷跡って雰囲気に感じました。そのまま行くと米蔵跡を過ぎて、正面に「引地家元屋敷入口」の碑があります。ちなみに、この左下が米蔵跡下の登城口ですが、神社下から歩いてもここまで5〜6分程度です。この屋敷跡は段々藪がきつくなってきたのでやめました。3分程登ると大手埋門跡の石垣が見られ、その先にちょっとした土塁があり、煙硝蔵跡を過ぎて神社があります。そこからすぐに出丸や陸橋跡とその間の堀切が見られ、すぐ上が本丸です。本丸は長細くて眺望がとても良いです。奥に城址碑があり、そっち側から降りて左手へ回ると、突然立派な石垣が目に飛び込んできます。古い石垣がそのまま残っている部分もあり、ここの高石垣が見事です。
2012年7月に再訪したら、城内全体が酷い藪でした。しかも東日本大震災の影響で石垣がかなりはらんでおり、崩落が心配です。 |
|
【歴史】 |
永禄年間(1558-70)、相馬家臣・井戸川将監が築城した。天正4年(1576)以降、この城をめぐり伊達氏と相馬氏の間で激しい攻防戦が繰り広げられ、天正9年に伊達政宗はこの金山城で初陣を果たした。天正12年、伊達氏が城を奪取し、伊達政宗は戦功の最もあった家臣・中島宗求にこの城を与え、以後中島氏が代々続いて明治を迎えた。天正16年、相馬氏に備え城を大改修し、翌天正17年、相馬攻めの伊達氏拠点とした。 |
|
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
出丸南の堀切 |