宮城県のお城 いわきりじょう
岩切城
別名 高森館、鴻の館
所在地 宮城県仙台市宮城野区岩切入山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 高森山公園(高森山)
築城年 南北朝時代
築城者 留守氏
歴代城主 留守氏
形式 山城(比100m)
登城時間
堀切
訪城日 2005/5、2012/1 感想
【道案内】 城跡の地図
JR東北本線「岩切駅」の北西約2km。宮城県県民の森の南にある高森山が城跡で、南から県民の森へ向かう道でアクセスすると、右手の公園入口に「岩切城」の案内があり、ここに3台分程の駐車場があります。登城口は他にもありますが、この南からのアクセスが一番便利です。
【感想・メモ】
入口に城址碑があり、そこから左手に段郭を見ながら上っていくとその先に立派な堀切があります。その北東の郭の先にも堀切があり、その東の一番高い所が主郭です。主郭からの眺望はとても良く、気持ち良いです。城跡は馬蹄形をしており広く、東の尾根へ進むとこちらにも堀切を2つ過ぎた先に郭があり、説明板が設置されています。その先にも堀があり、更に東には城址碑がありました。
【歴史】 三の丸
源頼朝による奥州藤原氏征伐後、伊沢家景は陸奥国留守職に任じられらた。この家景の子孫、留守氏が南北朝時代に築城した。その後、尊氏と弟・直義の勢力争いが岩切にも飛び火し、岩切合戦の引き金となった。留守氏は尊氏派奥州管領・畠山高国に与し、直義派の奥州管領・吉良貞家と対立した。観応2年(1351)、畠山派が岩切城に立て篭もり応戦したが、数で勝る吉良方が総攻撃をかけ、畠山氏は自刃し留守氏も降伏した。以後も留守氏が居城したが、元亀元年(1570)、留守氏を継いだ政景が利府城に拠点を移したため廃城となった。
参考資料 東尾根の郭
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
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