城跡の地図
厨川柵
別名
所在地 盛岡市天昌寺町6-6
遺構等 堀跡、碑、説明板
現状 天昌寺、道路、宅地
築城年 平安時代
築城者 安倍貞任
歴代城主 安倍
形式
訪城日 2005/5/3
【道案内】


【感想・メモ】
くりやがわさく
【歴史】
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堀跡
天昌寺
東北自動車道「盛岡インター」を下り、国道46号を盛岡市街方面へ東進します。2.5km程東進して「秋田新幹線・田沢湖線」を陸橋で渡り、1本目の信号を越えて150m程行った右手(JR東北本線の手前180m程の所)に「天昌寺」があります。この付近一帯が柵跡です。
天昌寺の前に碑と説明板があります。またお寺の西側は堀跡のようです。
平安時代、安部貞任が築城した。康平5年(1062)、いわゆる前九年の役で、源氏・清原氏の連合軍に包囲された厨川柵は落城し、安倍貞任は捕らえられ斬首、降伏した弟・宗任は流罪となり安倍一族は滅亡した。
碑と説明板