岩谷堂城 |
別名 | 柄杓城 |
所在地 | 奥州市江刺区岩谷堂字館山 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、水堀、碑、説明板 |
現状 | 館山史跡公園、岩谷堂高校 |
築城年 | 鎌倉時代 |
築城者 | 千葉胤道 |
歴代城主 | 千葉、葛西、江刺、木村、岩城 |
形式 | 山城(比70m) |
訪城日 | 2005/5/4 |
いわやどうじょう |
国道456号と県道108号が交差した信号を東へ入ります。そこから1km程行った「男石」バス停付近の路地を左折します。100m程北上した後、道が右カーブとなり更に400m程東進します。すると左手に配水池がある所を右に入る道があるので右折します。そのまま250m程南下すると「館山史跡公園」があります。この付近一帯が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。 |
公園はキレイに整備されています。 公園の中の神社に土塁や虎口が見られ、見応えがあります。 |
鎌倉時代、葛西氏が北上川中流域以南を所領した際、千葉頼胤の三男・胤道がこの地に配されたといわれる。南北朝時代以後、葛西氏の一族・江刺氏が強大な勢力を持ち、葛西氏と幾度か対立するも、明応4年(1495)江刺氏は敗退し、岩谷堂城は葛西政信の孫・三河守重胤が領有した。その後、葛西氏は秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため没落した。その後、木村伊勢守吉清の家臣溝口外記が入ったが、天正18年(1590)、一揆により殺害された。続いて伊達政宗の家臣・桑折摂津守が入城し、続いて岩城宗規が入った。そして、岩城氏が9代続いて明治を迎えた。 |
虎口 |