城跡の地図
根城
別名
所在地 八戸市根城字根城47
遺構等 復原建築物、曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 史跡 根城の広場
築城年 建武元(1334)
築城者 南部師行
歴代城主 南部
形式 平城
訪城日 2005/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
ねじょう
【歴史】
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八戸自動車道「八戸インター」を降り、左折して県道29号を西進します。1km程行くと国道104号を交差するので右折して国道104号を北上します。500m程行った「馬場頭」信号を直進した左手が根城で、もう少し行くと左手に博物館があり、そこに無料駐車場が完備されています。
博物館の隣に根城の広場があり、入口に城址碑があります。復原建築物の部分は有料となっています。キレイに整備され、芝の緑が太陽の光に映え眩しいくらいでした。下草が無いお陰で、空堀がよく見え、1ヵ所は水が溜まっていました。もともと水堀なのかなぁ?芝生が敷き詰められた広い土地なので、開放的な気分になり駆け出したくなります。土塁に上ったり、曲輪から曲輪へ移動して楽しんでいました。
元弘3年(1333)、北畠顕家が陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じ奥州へ下向した際、甲斐源氏の流れを汲む南部氏の祖・南部光行から四代目・南部師行は国司代に任じられ同行した。師行は翌建武元年、八戸に城を築き、奥州における南朝方の拠点とし、「根城」と名付けた。延元3年(1338)、師行は北畠顕家とともに足利尊氏追討軍に参加し、和泉で戦死した。師行の後を継いだ政長以後も南朝に忠節を尽くすが、南朝方の勢力が弱まると共に南部氏の勢いも衰えた。南北朝統一の翌明徳4年(1393)、南部氏八代政光は本領である甲斐から根城に移った。天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐の後、南部氏宗家の三戸城主南部信直が秀吉から南部七郡の所領を安堵されると、根城南部氏もその配下となった。寛永4年(1627)、根城南部氏22代直義は遠野に国替えとなり、根城は廃城となった。