浪岡城 |
別名 | |
所在地 | 青森市(浪岡町)浪岡字五所 |
遺構等 | 曲輪、堀、土塁、碑 |
現状 | 史跡公園 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 北畠顕義 |
歴代城主 | 北畠 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/5/1 |
なみおかじょう |
東北自動車道「浪岡インター」で下り、国道7号(浪岡バイパス)を黒石方面へ南下します。2.5km程南下した信号を右折し、県道27号に入ります。1.7km程東進した交差点を右折し、500m程南下した信号を右折した左手一帯が城跡です。城跡沿いに西進し、右手に「浪岡八幡宮」がある左手に、城址碑があります。 |
こんなだだっ広くて、見渡す限り空堀や曲輪が見える城跡に圧倒されたというか、初めてこういう形式のお城を見たという感動で、ついつい駆け出したくなりました。二重・三重の空堀も見事ですが、広大な城跡に目を見張るばかり。これはオススメです!主郭には「北畠古城跡碑」という石碑もあります。 |
室町時代中期の長禄年間(1457-60)頃、北畠顕義が築城したといわれる。顕義は、後醍醐天皇の側近として活躍した北畠親房の子孫である。浪岡北畠氏は「浪岡御所」と称され、戦国時代には大浦氏・大光寺氏と鼎立して津軽に権勢を誇った。しかし、永禄5年(1562)、浪岡北畠氏九代・具運が叔父の川原御所北畠具信によって殺された「川原御所の乱」の後、浪岡北畠氏は急速に勢力が衰えた。天正6年(1578)、津軽統一に乗り出した大浦為信に攻められ浪岡城は落城。浪岡北畠氏十代顕村は割腹し、名門浪岡御所は滅んだ。 |
二重の空堀 |