堀越城 |
別名 | 堀越楯 |
所在地 | 弘前市堀越字川合 |
遺構等 | 曲輪、水堀、土塁、碑、説明板 |
現状 | 熊野神社 |
築城年 | 建武3(延元元、1336) |
築城者 | 曾我太郎貞光 |
歴代城主 | 曾我 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/5/1 |
ほりこしじょう |
空堀 |
東北自動車道「大鰐弘前インター」で降り、国道7号を藤崎町方面へ北上します。3km程行くと「弘前大橋」で平川を渡ります。そこから1km程行った「堀越」信号を左折し、250m程直進した「堀越」信号を左折して県道260号に入ってすぐ左手に熊野神社があります。ここが城跡です。鳥居をくぐった熊野神社の中に駐車できます。 |
県道沿いにある神社の鳥居に、城址碑と説明板があります。そこから奥へ入っていくと、水堀と虎口、そして虎口の前には土橋までがはっきり見えます。ここからだけでもすごくステキな眺めなのに、中へ入ると土塁がしっかりと巡り、桜の花が満開で最高です。人も居なくて、落ち着いてお城を堪能できます。広い曲輪に高い土塁、そして周囲が堀と、全体的に開放感がある雰囲気ですっごく気に入りました。 |
建武3(延元元、1336)、曾我太郎貞光が築城した。元亀3年(1572)、大浦(津軽)為信が密かに堀越城に兵を集め、津軽郡代石川高信が守る石川城(弘前市)を攻めた。そして、高信を自刃に追い込み、南部家からの独立を歩み出した。その後、南部氏の城を次々と落とし、豊臣秀吉の小田原征伐の際、南部氏に先立って参陣したため、秀吉から本領を安堵された。津軽を統一した為信は、大浦城から堀越城に移り、城を本格的に修築した。しかし、お家騒動の内乱の際に容易に本丸まで攻め込まれたため、城を移すことを決め、2代藩主信枚の時に、弘前城が完成し移った。その際、堀越城は役割を終え、廃城となった。 |
土橋と虎口 |