弘前城 |
別名 | 高岡城 |
所在地 | 弘前市下白銀町1 |
遺構等 | 現存天守、曲輪、土塁、石垣、堀、櫓、城門 |
現状 | 弘前公園 |
築城年 | 慶長16(1611) |
築城者 | 津軽信牧 |
歴代城主 | 津軽 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2005/5/1 |
ひろさきじょう |
丑寅櫓 |
弘南鉄道大鰐線「中央弘前駅」から北西へ約800m、JR奥羽本線・弘南鉄道弘南線「弘前駅」から北西へ約1.5kmのところ。東北自動車道「大鰐弘前インター」で降り、国道7号を藤崎町方面へ北上します。弘南鉄道弘南線を越え、国道が高架になっている所を左へ降りて「運動公園入口」信号を左折して県道109号に入ります。1.3km程西進して陸橋でJR奥羽本線を渡り、更に500m程西進して突き当たった信号を右折して県道260号に入ります。そのまま道なりに1.7km程行くと、正面に弘前公園があります。ここが城跡です。 |
GWで桜満開ということで、本当にキレイだったというか、写真を撮ったら天守から桜の手が沢山出ているといった感じになっていたけど、おかげでスゴイ人・人・人。人が入らないように写真を撮るのが無理という場所ばかり。しかも無料駐車場は徒歩20分の川沿いにしかなく、諦めてもう少し近くへ行ったら駐車料金はどこも1回千円。桜満開の弘前城を見られて贅沢だったけど、今度来る事があったら、絶対に桜の時期は外そうと思いました。見所沢山の弘前城だけど、どこへ行くにも人だらけで思うように歩けないし、人が居ない場所で写真を撮る事もできず、ゆっくりできる雰囲気ではなかったので一通り見て帰ってきちゃいました。 |
戦国時代、津軽地方を統一した大浦為信が、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、津軽一円の本領安堵を得て、姓も津軽と改称した。慶長8年(1603)、為信は弘前城築城に着手するが、翌年京都で客死し、築城は中断した。慶長14年、2代津軽信牧が築城を再開し、2年の歳月を経て五層の天守をはじめとする大城郭を完成した。五層の天守は、寛永4年(1627)落雷によって焼失した。その後、文化7年(1810)本丸隅櫓を改造して天守とした。津軽氏は、12代に亘り津軽地方を領した。 |