城跡の地図
大鳥井柵
南から西にかけて横手川が、北側には杉沢川が流れる、大鳥公園の中にある大鳥井山と小吉山が柵です。公園駐車場に柵の説明板があるので、それを見てから登りました。大鳥井山には十三塚といって円形の塚があり、その上には堀切がありました。山頂には大鳥井山神社が鎮座しています。発掘調査をした際には二重の横堀も出てきたようですが、今では埋め戻され特にこれといったものは見ることは出来ません。小吉山は未訪問です。
【感想・メモ】

JR「横手駅」から北へ約1.8km。鳳中学校の西側にある大鳥公園の南西〜西が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。
平安時代の永承・天喜年間(1046-58)、清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)の父子が築城したと伝えられる。前九年の役(1051-62)により奥羽一帯を支配していた清原一族の内紛は、源義家の介入により後三年の役(1083-87)へと発展し、横手盆地一帯に戦火が広がった。この大鳥井柵は清原家衡が拠点とした金沢柵と共に焼失し、源義家・清原清衡連合軍に敗れた一族は滅亡した。その後、寛治元年(1087)、藤原清衡の三男・正衡が城柵を築いたと伝えられ、関根柵と呼ばれた。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】
別名 大鳥柵、関根柵
所在地 秋田県横手市大鳥町
遺構等 曲輪、堀切、説明板
現状 大鳥公園(大鳥井山、小吉山)
築城年 永承・天喜年間(1046-58)
築城者 清原光頼、頼遠父子
歴代城主 清原氏、奥州藤原氏
形式 城柵(平山城、比20m)
訪城日 2010/7 感想
【道案内】

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