城跡の地図
文明年間(1469-87)、小野寺長門守道高が築城した。当時は岩渕城と呼んだが、天正8年(1580)頃、小野寺孫五郎康道(大森五郎)が入城し、大森城と改名し、以後三万石で平鹿西部地方一帯を支配した。天正18年の太閤検地では豊臣秀吉の命を受けた上杉景勝が大森城に入り、ここを本拠として山北三郡(雄勝・平鹿・仙北)の検地を指揮したことから、当時大森城はこの地方一帯を支配する重要拠点であったと考えられる。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の際、上杉氏に属した小野寺氏は、最上・秋田・由利等の連合軍1万余に取り囲まれたものの、2ヶ月余りの攻防にも耐え、大森城は遂に落城しなかった。しかし、関ヶ原合戦で西軍は敗北したため、城主小野寺康道は城を明け渡し、兄義道と共に津和野坂崎家にお預けの身となり、寛永18年(1641)没したと伝えられる。

(現地説明板 参照)
大森城

私は、中学校の向かい側から入った駐車場に車を停めました。ここからだと比高40m程です。駐車場にお城の説明板があり、5分程で主郭(山頂)に着きます。主郭には大森神社があり、あとは広い公園といった感じでした。この一段下には二の丸がありますが、全体に公園整備され、これといった遺構は見当たりませんでした。
【感想・メモ】
大森中学校の道路を隔てた東側にある大森公園・大森神社が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。公園の南側から入ると二の丸下の駐車場まで車で行けるようです。
別名
所在地 秋田県横手市大森町高口下水戸堤
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 大森公園、大森神社、山林
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 小野寺道高
歴代城主 小野寺氏
形式 山城(比90m)
訪城日 2010/7 感想
【道案内】

【歴史】
おおもりじょう
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