増田城 |
国道342号と県道108号が交差する「四ツ谷角」信号を200m程西進すると右手(北)に「増田町役場」があり、役場の北側にある「増田小学校」が城跡です。 |
小学校の東側にお城の説明板があり、この付近に土塁が残っています。雰囲気からすると、以前は学校の周囲に土塁が巡っていたようですが、校舎などを建てる際、壊されたみたいです。土塁の上の桜も満開で綺麗でしたが、学校校舎のすぐ東側が桜のトンネルになっていて更にキレイでした。 |
土塁 |
別名 | 土肥館 | ||
所在地 | 秋田県横手市増田町増田土肥館 | ||
遺構等 | 土塁、説明板 | ||
現状 | 増田小学校 | ||
築城年 | 貞治年間(正平、1362-68) | ||
築城者 | 小笠原義冬 | ||
歴代城主 | 小笠原、土肥、最上、佐竹、岩崎 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2005/4/30 | 感想 | ○ |
ますだじょう |
貞治年間(正平、1362-68)、三又城から小笠原義冬が移住して築城した。永享年間(1429-41)、光冬の代に仙北楢岡城へ移り、その後、土肥氏が入った後、最上氏が入った。天正18年頃(1590)、太閤検地の際、検地反対一揆軍が一時城を奪取した。慶長7年(1602)、佐竹義宣の命で今宮摂津守が城を請け取り、翌8年から元和2年(1616)まで佐竹義賢が居城した。その後、岩崎貞隆が増田1万石を与えられたが、元和8年、城は破却された。 |