秋田城 |
出土品収蔵庫の西(護国神社側)が政庁跡で築地塀や門等が復元されています。また、収蔵庫の東(道路を隔てた側)には東門が復元されています。柵はどこもだだっ広く同じような風景なので、場所による違いが良く分かりません。県道56号沿いに城址碑や秋田城跡の案内図がありました。 |
高清水小学校や高清水公園から南西へ300〜400m進んだ一帯が城跡の中心で、右手の「秋田城跡出土品収蔵庫」に無料駐車場が完備されいます。 |
天平5年(733)、奈良朝廷が東北における対蝦夷対策の一環として築いた。出羽国の政治を行う国府が置かれ、津軽・蝦夷のほか中国大陸の渤海国との交易の拠点としても重要な役割を果たしていた。平安時代の天長7年(830)、秋田地方の大地震で城郭は大きな被害を受け、さらに元慶2年(878)には半年にも及ぶ蝦夷の大反乱により国守が逃亡する騒動が勃発し、朝廷は援軍を送ってようやくこれを鎮圧した。天慶2年(939)、再度、蝦夷が反乱を起こすなど不安定な政情が続き、永承6年(1051)に勃発した前九年の役後、秋田城介は遙任制となって在城しなかったため秋田城の役割も衰退し、歴史上からその姿を消した。 |
別名 | 出羽柵 | ||
所在地 | 秋田県秋田市寺内町字大畑141 | ||
遺構等 | 復元築地塀、復元門、土塁、建物跡、碑、説明板 | ||
現状 | 史跡公園 | ||
築城年 | 天平5(733) | ||
築城者 | 奈良朝廷 | ||
歴代城主 | |||
形式 | 柵 | ||
訪城日 | 2010/7 | 感想 | ○ |
あきたじょう |