白地城 |
別名 | 白地大西城 |
所在地 | 徳島県三好市池田町白地本名 |
遺構等 | 説明板 |
現状 | 池田簡保センター(簡保の宿) |
築城年 | 鎌倉前期 |
築城者 | 近藤京帝 |
歴代城主 | 近藤、大西 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2004/4/29 |
はくちじょう |
白地小学校から国道32号を600m程南下して右折し、坂を上がりきった所が城跡です。以前は簡保の宿が建っていました。 |
簡保の宿のせいで城跡は見事に破壊されたようです。かんぽの宿の正面玄関前に、白地池田城の説明板が横向きにあったのみでした。かんぽの宿は2005年に廃業となったため、現在どうなっているのかは?? |
鎌倉前期、三好郡に西園寺家の荘園「田井ノ荘」があり、荘官として京都から近藤京帝が来て荘官館を築いた。公家出身の近藤氏は大西氏と改姓し、館を白地城へと整備していった。南北朝時代、大西氏は南朝方となるが、次第に南朝勢力が弱まるにつれ、足利方の細川氏に従った。天正3年(1575)、土佐の長曽我部元親が阿波侵攻を開始すると、大西覚養は弟・頼包を人質に出した。天正13年(1585)秀吉の四国平定に伴い、元親は土佐へ退き、白地城は廃城となった。 |