楠目城 |
別名 | 山田城、山田楠目城 |
所在地 | 高知県香美市(土佐山田町)土佐山田町楠目 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑 |
現状 | 山林 |
築城年 | 鎌倉初期 |
築城者 | 山田氏 |
歴代城主 | 山田 |
形式 | 山城(比60m) |
訪城日 | 2006/5/28 |
くずめじょう |
碑の左手(茶色い家の右脇)が登城口 |
JR「土佐山田駅」から北東へ約1.8km。国道195号沿い「同仁病院」から50m程東進した最初の路地を左折します(山田消防署の手前の路地)。400m程北上すると左手に「鏡野中学校」があり、右手にゴルフの練習場が見えます。城跡はこのゴルフ練習場の奥の山です。城跡へは、中学校から更に200m程北上すると、道路右手にお城の標柱があります。この標柱に向かって左手(茶色い民家のすぐ右脇)を山へ向かって行き、畑の中を通って山の中へ入ると道があるので、そのまま道なりに進めば堀切に出ます。 |
私は登リ口が分からなかったので、ゴルフ練習場の脇から直答しました。登りきると削平地に土塁がまいており、堀切もありました。更に奥へ行くと、もっと立派な堀切があり、その後、墓地に出ました。本当の登り口はどこだったんだろう?と思い、道があったのでそこから下山したら、田んぼの中を通り、個人宅のすぐ脇を通って道路に出ました。その横にはお城の標柱がありました。 |
山田氏は、鎌倉初期に土佐に来た中原秋家の子孫と言われ、代々この城に住し、香美郡の中北部を領有し、戦国土佐七雄の一に列したが、元義が城主のとき、天文18年(1549)頃、長宗我部国親の攻撃により落城した。詰の段、二の段、出丸に空濠、土塁などが残っている。(現地標柱より) |