朝倉城 |
別名 | 重松城 |
所在地 | 高知県高知市朝倉丁 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、石垣、井戸、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 天文9(1540) |
築城者 | 本山茂宗 |
歴代城主 | 本山 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2006/5/28 |
あさくらじょう |
主郭(詰の段) |
JR土讃線「朝倉駅」から国道56号で南下します。400m程南下して歩道橋を過ぎると、すぐに右に入る道があるので右折します(道路にお城の案内が出ています)。道なりに少し細い坂道を上がっていくと200m程でT字にぶつかるので、そこを右折します。そのまま100m程進むと右手に北城山公民館があり、横にお城の縄張図があります。道なりに更に上がっていくと道路に突き当たります。そこを右手へ行くとそのまま城跡へ入る入口となり、入口に標柱が立っています。公民館からは道が細くなるので、車は公民館脇のスペース(1台分)に停めると良いでしょう。 |
登城口の横に竪掘があります。この城は空堀があちこちに張り巡らされ、石垣もあり、主郭下には井戸もあって見所盛り沢山です。でも、マムシの大量生息地と聞き、藪のせいで入り込めない所が多くて残念でした。冬ならマムシが出ないからもっと楽しめたんだろうなぁと思います。 |
古くは重松城ともいう。長岡郡本山城主の本山梅慶は、天文年間(1532-55)土佐中央部に一大勢力を確立し、これを維持するため、軍事的・地理的に重要なこの地に築城して天文9年(1540)ここに移った。永禄3年(1560)にはじまった長宗我部氏との激突は数度に及んだが、勝敗は決せず、梅慶の後をついだ子の茂辰は、不利な形勢と朝倉城死守の困難をさとり永禄6年1月城を焼いて本城本山に退去し、廃城となった。詰・西郭を囲むように大きな空堀が二重三重にはしり、竪掘も深く残っている。県内随一の規模をほこる中世城跡である。(現地説明板より) |
井戸 |