河後森城 |
別名 | 皮籠森城 向後森城 | ||
所在地 | 愛媛県松野町松丸 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、石垣、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 史跡公園、山林 | ||
築城年 | 建久7(1196) | ||
築城者 | 渡辺連 | ||
歴代城主 | 渡辺 | ||
形式 | 山城(比60m) | ||
訪城日 | 2009/9 | 感想 | ○ |
先回、北側の貴船神社にある登城口の案内から登った時は、道はあるものの墓地を通って山に入ると、急に青いビニールシートがかかった堀切に出ました。道案内の登城口からだと風呂ヶ谷から西へ進むと西第十曲輪、東だと新城へ行けます。西第十曲輪は綺麗に整備されていますが、本郭や古城、新城は発掘調査後、ビニールシートを掛けて放置した状態で、ちょっと無残な雰囲気です。穴ボコがそのままで危ない箇所もあるので注意してください。2006年に訪れた時から状況が変わってないので、もう整備しないのかな?残念です。 |
西第十曲輪
JR予土線「松丸駅」から南へ約700m。松丸駅南東約300mで、国道381号が北から東へ折れる交差点を南へと県道8号に入ります。そこから700m程南下して右折し、700m程西進して右折すると右手にお城の看板が見えてきます。ここが登城口で、登城口に無料駐車場があります。 |
建久7年(1196)渡辺綱から6代目の渡辺源七兵部少輔源連が築城した。戦国時代、渡辺家に嗣子無く、土佐一条氏より教忠が養子として迎えられた。永禄10年(1567)伊予国を侵す一条氏を攻めない渡辺氏を敵対行為として、西園寺諸将に攻められた。そこで渡辺氏は人質を差しだし、事なきをえた。その後、長宗我部氏が一条氏を滅ぼし、伊予に侵入してきた。天正8〜9年(1580-81)重臣で鳥屋ヶ森城主・芝美作守政輔の子・源三郎に城を奪われた。 |
本郭
かごもりじょう |