伊予松山城 |
別名 | 金亀城 |
所在地 | 愛媛県松山市丸の内 |
遺構等 | 現存天守、復元櫓、復元門、曲輪、 石垣、土塁、碑、説明板 |
現状 | 城山公園 |
築城年 | 慶長7(1602) |
築城者 | 加藤嘉明 |
歴代城主 | 加藤、蒲生、松平 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2009/9 |
私はリフトを利用してまずは天守へ。現存天守は言うまでもないのですが、櫓や門が沢山あり、石垣もカッコいい!南西へ下っていくと二之丸史跡庭園(二の丸西側の麓に無料駐車場があり、ここからも登れます)、があり、公園の南から西にかけては水堀が残っています。全体を見ようと思ったら、一日かけても全然足りません。 |
いよまつやまじょう |
JR予讃線「松山駅」から東へ約1.5km。愛媛県庁北側の城山公園が城跡で、公園東側に松山城ロープーウェイリフト乗り場があり、有料駐車場も周辺にあります。天守へはこのリフトを利用すると楽に行けます。 詳しくはこちらをご覧下さい。・・・松山市ホームページ(松山城) |
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の戦功によって伊予20万石に加増された加藤嘉明は、それまでの松山城が手狭になったため、新しく築城した。寛永4年(1627)、嘉明は会津若松40万石に移封となり、替わって蒲生忠知が24万石で入城した。忠知は未完だった松山城の工事を継続させたが、在城わずか7年で世継ぎがないまま没したため、お家断絶となった。寛永12年、徳川家親藩の久松定行が15万石で入り、以後久松氏が続いて明治を迎えた。天明4年(1784)、落雷によって天守が焼失したが、文政3年(1820)から安政元年(1854)にかけ再建された。 |