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別名 |
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所在地 |
三重県紀北町海山区小山浦 |
遺構等 |
曲輪、石垣、水門、碑、説明板 |
現状 |
山林 |
築城年 |
13〜14世紀 |
築城者 |
木本盛房 |
歴代城主 |
木本 |
形式 |
平山城 |
登城時間 |
集会所から3分 |
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水門跡 |
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国道42号「銚子橋」で調子川を南へ渡りすぐの「銚子橋南」信号を東へ入ります。400m程進んでJRをくぐり、更に400m程南東へ進んで右折します。200m先の突き当たりを右折し、100m程北西へ進むと左手に「小山浦集会所」があります。この集会所と隣の長泉寺との間が登城口で、車は集会所に停めさせて頂きました。 |
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城址碑 |
石垣 |
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【感想・メモ】 |
登り口に「環境防災林整備事業」と書かれた看板に周辺の案内図や、お城の説明が書いてあります。その案内板から左へ真っ直ぐ歩いていくと、橋を渡った正面に「うしろ山城跡」と刻まれた石があり、周囲を見渡すと渡った橋の下には石垣が積まれ、橋を渡った左手へ行くとこちらにも石垣が沢山見えます。更に奥へ進むと水門もあり、こういうお城は初めて見た!と感動しました。これらの石垣の上は曲輪がありますが、あまりに酷い藪で何も分かりませんでした。 |
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【歴史】 |
13〜14世紀頃にこの地方の一名家である、木本盛房が居を築いたのがはじまりで、盛房が木本(現相賀)に移り住んだのち、その廃止に三浦の豊浦左衛門が屋敷を構えたといわれている。なお、うしろやま(後山)というのは、小山集落の南にあたる山地一帯を指す称で、北面している故の名であると思われる。巨石を積んだ石垣や、水門が残っていて、城跡の面影をとどめている。また、背後の道はノロシ山に通じており、そこには江戸時代初期に紀州藩が設置した狼煙場がある。 |
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【参考資料】 |
『三重の中世城館』 三重県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 現地説明板 |
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