【感想・メモ】 |
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いきなり、長い滑り台が目に飛び込んできます。階段を上っていくと主郭手前に堀切があり、主郭には縄張図付きの説明板があります。それにしても・・・あの滑り台を見た瞬間、何にも期待しなかったのに、主郭には土塁がしっかりと巡らされています。しかも、曲輪の北側には土橋があり、空堀も残っています。その上、主郭から熊野川向けに展望台があり、ここから眺める景色の素晴らしい事!!熊野川を挟んだ向こう側に、新宮城が見えます。そして、熊野川の河口から熊野灘まで一望できます。すっごく気分爽快でした。 |
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【歴史】 |
鎌倉時代頃、鵜殿氏が築城したと思われる。鵜殿の地は熊野水軍の根拠地で、熊野川河口と外洋とに接する位置にあり、経済的にも戦略的にも重要な拠点であった。室町時代に入ると紀伊半島の武士団は南北朝に分かれ戦った。興国4年(1341)鵜殿氏は南朝方から北朝方に転じたため、南朝方の攻撃を受け、鵜殿城にも軍勢が押し寄せたが追い返した。明徳3年(1392)南北朝統一が実現し、長年続いた両朝の争いは決着した。その後、鵜殿氏は三河蒲郡に移り、永禄5年(1562)徳川家康に滅ぼされるまで蒲郡を支配した。 |
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【参考資料】 |
『三重の中世城館』 三重県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 現地説明板 |
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