鬼ヶ城 |
別名 | |
所在地 | 熊野市木本町字城山1751 |
遺構等 | 曲輪、堀切、石垣、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 有馬忠親 |
歴代城主 | 有馬 |
形式 | 山城(比110m) 登城口から主郭まで約18分 |
訪城日 | 2007/1/20 |
おにがじょう |
国道42号「鬼ヶ城トンネル」の東側から南へ入ります。600m程南下すると駐車場になりますが、この駐車場に入ってすぐ右手(西)に登城口があります。 |
登城道は整備されていますが、階段が続くのでしんどかったです。20分弱上ると主郭に到着します。主郭から右手の郭へ行くと説明板があります。その先に遊歩道があるのでそちらへ下っていくと、堀切が3条見られます。主郭から左手の郭へ行くと展望台がありました。そこから先にも堀切があるようですが、道がなかったので諦めました。 |
室町時代(1523頃)に熊野付近を広く領有していた有馬和泉守忠親が甥に跡を譲り、隠居するために構えた。やがて有馬氏も永禄元年(1558)新宮・堀内氏に滅ぼされる。堀内氏は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の役に至るまでこの地を治めた。標高153mの山の頂に築かれた中世の城は南北330m、東西30m、堀切を3ヵ所、郭を十数ヶ所有する、この地方最大規模の山城であった。熊野古道・松本峠から本城跡までのハイキングコースには現在も3ヵ所の堀切が実際に残っており、浅くなってはいるが空掘の跡を見ることが出来る。ここからは、熊野灘の海原と田村麻呂伝説の魔見ヶ島、七里御浜の長汀や遠く熊野三山方面を望むことができ、風光明媚な眺望を楽しむことが出来る。(現地説明板より) |