矢田城 |
別名 | |
所在地 | 桑名市矢田字城山261-4 |
遺構等 | 三段の壇 |
現状 | 観学寺、走井山公園 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 矢田半右衛門俊元 |
歴代城主 | 矢田 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2005/2/19 |
やたじょう |
観学寺 |
三段の壇 |
近鉄北勢線「馬道駅」から北に約100m、近鉄名古屋線「益生駅」から北西に約450m。県道63号の桑名高校南西の信号を南に入り、300m程南下すると正面に「走井山」公園があります。ここが城跡です。 |
三段の壇といわれる場所は、つつじがキレイです。今ではただの花壇ともいう?走井山公園にある説明板を読むと、城跡だった事が分かります。高台に広い土地があって、城跡にはぴったりだったのかなぁ。 |
室町時代、毛利氏の家臣・山内俊行の子・俊元が、北畠氏に属して築城した。その際、姓を矢田に改め、矢田半右衛門俊元と称した。この地方の中心的存在であったが、永禄年間、織田信長の攻撃によって滅ぼされた。信長は滝川一益にこの城を与え、長島一向一揆侵攻のための前線基地とした。 |