城跡の地図
長島城
寛元3年(1245)、藤原道家がこの地に来て村長の家を修築して移り住んだといわれる。文明14年(1482)、伊藤重晴が砦を築き、永禄4年(1561)、服部左京進友定が北畠氏に属し、長島城を修造したとも言われる。元亀元年、石山本願寺に呼応した願証寺を中心とした一向一揆に攻められ落城した。天正元年(1573)〜2年までの間、信長軍により3回の長島攻めが行われ、天正2年8月に落城した。その後、滝川一益が北伊勢五郡を領し、織田信雄、豊臣秀次と城主は変わり、江戸期には菅沼氏、松平氏、増山氏が領し、明治5年(1872)、廃藩置県で廃城となった。
【歴史】
小学校の脇(小川沿い)に説明板があります。この小川は堀跡なのかな?学校の中には大きな松もありました。すぐ近く(又木茶屋から川沿いを200m程北上し2本目の路地を右折。そこから200m程北上した右手)の「蓮生寺」には移築城門があり、説明板があります。国道1号「又木」交差点のすぐ北側にある情報交流館「又木茶屋」には、長島一向一揆の紹介などパネルがあって分かりやすいです。又木茶屋には駐車場が完備されています。
小学校前の説明板
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【感想・メモ】

移築城門(蓮生寺)
【道案内】
国道1号「又木」信号を北西へ入り、川沿いに200m程進むと、川の西側に「長島中部小学校」があります。この付近が城跡です。
別名 松箇島城
所在地 桑名市長島町西外面
遺構等 移築城門(蓮生寺)、堀
現状 長島中部小学校周辺
築城年 文明14(1482)
築城者 伊藤重晴
歴代城主 伊藤、滝川、天野、松平
形式 平城
訪城日 2007/7/14
ながしまじょう
長島中部小学校の大松