城跡の地図
松ヶ島城
別名 天守山
所在地 松阪市松ヶ崎町城の腰
遺構等 碑、説明板
現状
築城年 天正8(1580)
築城者 織田信雄
歴代城主 織田、蒲生
形式 平城
訪城日 2002/12/6
【道案内】


【感想・メモ】
まつがしまじょう
【歴史】
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国道23号「松ヶ島町」信号を東へ入り、500m程東進した突き当りを左折します。300m程北上すると左手にコスモのG.Sがあるので、そこを右折します(T字の交差点で、道がかなり細いので注意)。少し進むと右手に公民館があり、そこに駐車しました。そこから、海の方面(北東)に向かい歩いていくと、畑の真ん中に、ポカリとこんもりした丘が右手に見えるので、すぐに分かります。それが、城跡です。
遺構は特にないですが、石碑と案内板があります。それにしても、どこへ行っても思うことですが、ほんのちょっとした小山を利用して作った城、それが周囲を見渡せるのに、驚いたり感心したりします。ここからも、本当に周囲が一望できました。
永禄10年(1567)頃、北畠具教が信長軍の伊勢侵攻に備え細首に築城して、日置大膳亮に守らせた。そして、永禄12年の織田軍来攻に際し、大膳亮は細首城を焼いて大河内城に篭城した。その後、織田軍と北畠軍との間に和議が成立し、北畠の家督を継いだ信長の二男・信雄は田丸に新たに城を築いた。しかし、天正8(1580)、田丸城が焼失したのを機に、細首城を大改修して天守を備えた城郭を築いた。これが松ヶ島城である。本能寺の変で信長が倒れると、信雄は清洲城へ移り、松ヶ島は家臣・津川玄蕃允に預けた。天正12年、信雄と秀吉が対立すると、玄蕃は誅殺され、秀吉軍の猛攻にあい落城した。天正16年、蒲生氏郷が松阪城を築いて南伊勢を統治すると、松ヶ島城は廃城となった。
移築城門(松阪市愛宕町 竜泉寺)