城跡の地図
国府城
別名 本多城
所在地 鈴鹿市国府町字長ノ城
遺構等 土塁、空堀、碑、説明板
現状 畑、林
築城年 貞治6年(正平22、1367)
築城者 関盛門
歴代城主 (関)国府
形式 平山城
訪城日 2004/2/28
【道案内】


【感想・メモ】
こうじょう
【歴史】
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堀跡
「国府小学校」南側道路を小学校を越えてから150m程西進した1本目の路地を右折します(車では入れません、この右の路地へ入る左手は公園です)。真っ直ぐ北上した突き当り近辺が城跡です。
路地に入っていくと、左手に土塁跡?と思えるような所があったけど、どうなんだろう??と思いながら、もう少し歩くと国府城の説明板と碑があります。その奥は土塁ですが、すごい竹薮でよく見えません。そこから少し左手に歩いていくと右手は畑ですが、一段低くなっている部分があり、ここが堀跡です。この畑の奥に行ってみると、そこにも土塁がありました。また、路地に入る際に左手に見えていた公園へ行ってみたら、この公園の奥も土塁跡?っていう雰囲気がありました。縄張図をよーく見ると、ぐるりと城域を囲んでいた部分にあたるので、可能性アリかな?
貞治6年(正平22、1367)、関森門が築城し、国府氏の祖となった。国府氏は8代続き、永禄年間(1558-70)7代目・盛邑の時、織田氏に属し、子・盛種の時、天正12年(1584)、秀吉に対抗したため攻撃され、落城した。