城跡の地図
霧山城
別名 多気城
所在地 津市(美杉村)美杉町下多気字上村
遺構等 土塁、堀切、碑
現状 山林(北畠神社裏山)
築城年 康永元(興国3,1342)
築城者 北畠顕能
歴代城主 北畠
形式 山城(比240m)
登城口から主郭まで約35分
訪城日 2002/12/6
【道案内】


【感想・メモ】
きりやまじょう
【歴史】
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矢倉跡
国道368号の美杉町小津地区で北へと県道30号に入ります。1km程北上すると左手に北畠神社があり、この神社の西の山が城跡です。北畠神社に無料駐車場が完備され、北畠神社(多気御所)の横から登ります。また、この北畠神社の中に北畠氏館跡庭園があります。
神社から本丸まで1340m。結構長い距離を登る事になります。ちなみに比津峠から登ると、矢倉跡までの遊歩道が500mと短いですが、かなり急な山道の様です。登っている途中、あと610mの看板がありましたが、まだ610mもあるの〜?と思いながら、ひたすら登山。やっと鐘突堂跡右手、本丸左手の看板が。南側に離れて鐘突堂跡が、そこから本丸へ峰をアップダウンして行き、本丸の南西に米倉跡、北東に矢倉跡がありました。それならば、鐘突堂跡経由で、本丸へ。と言う事で、ま〜るい感じの小山へ更に登ると、頂上は突風が吹き荒れ、飛ばされそうでゆっくり見て回れない。急いで、本丸へ。本丸には、立派な石碑がありました。周囲の山々の景色もとっても良い。矢倉跡の北側には、大きな堀切も見られました。本丸まで、鐘突堂経由で約45分もかかって登ったのに、下りはラクラク。20分もかからず、北畠神社へ戻れました。
康永元年(興国3,1342)、北畠顕能が築城し北畠の本城とした。天正4年(1576)、信長に命を受けた秀吉が侵攻し、城主・具教が三瀬谷で殺された。その大軍は多気の城下を焼き払い霧山城へ押し寄せたため、城代・北畠政成は討死し廃城となった。
本丸を望む
縄張図(現地説明板より)