五ヶ所城 |
別名 | 愛州城 |
所在地 | 南伊勢町(南勢町)五ヶ所浦字城山2542 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板 |
現状 | 山林、愛洲の里 |
築城年 | 康永年間(1342-45) |
築城者 | 愛洲氏 |
歴代城主 | 愛洲 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2006/3/11 |
ごかしょじょう |
国道260号「五ヶ所浦」信号を県道12号へと北へ入ります。700m程北上した右手の五ケ所川を渡ってすぐに「愛洲の里」があります。この右側の山が城跡で、愛州の里に無料駐車場が完備されています。山側へ行くと「鍛錬の段」という名前の階段があるので、そこを上がってもいいですが、ここから右手(南)へ少し歩き、公園に遊具がある少し手前に山へと入っていく道があります。ここから登ると下の曲輪から見られます。 |
二の丸に展望台が作られていました。主郭手前には東から南へL字形の堀と土塁が二重にあります。主郭には碑と説明板がありましたが、碑はここ以外に、愛州の里へ来る途中の県道12号から五ヶ所川を渡ってすぐの所と、150m程南にある愛州氏館の南側の2ヵ所でも見かけました。五ヶ所川が城跡の西・北・東を囲うように流れているため、天然の要害を上手く利用して築城されています。 |
愛洲氏が居城した。康永元年(興国3、1342)、足利勢と伊勢守護となった二木義長も加わり、北畠氏の本城・田丸城が攻め落とされた。翌2年、五ヶ所城も二木義長に攻められたようである。愛州氏は元亀年間(1570-73)以降、天正4年(1576)頃までに、南伊勢を押さえ田丸城に入った北畠信雄(織田信長の次男)によって亡ばされたといわれる。五ヶ所城も愛州氏滅亡と共に廃城となった。 |