城跡の地図
五箇篠山城
登城口には城址碑と説明板がありここから階段を上がると城跡西端の主郭に着き、縄張図付きの説明板があります。この主郭にのみ土塁があるようです。ここから東に郭が続き、間に堀切があります。全体に遺構は良く残っており、中には藪だらけで見られない所もありますが、主要所は草刈りをした後で見やすかったです。
【感想・メモ】

別名
所在地 多気町(勢和村)古江字城山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉中期
築城者 野呂氏隆
歴代城主 野呂、安保
形式 山城(比68m)、Pから比55m
駐車場から主郭まで約7分
訪城日 2007/12/16
【道案内】

鎌倉時代中頃、野呂氏隆が現在の群馬県にあたる上野国から伊勢に来て築城した。以後、野呂氏が代々居城したが、野呂氏戦死後は安保式部少輔・安保大蔵大夫が居城した。その後、天正4年(1576)、北畠具教が三瀬館で殺され、北畠氏は滅亡したが、僧であった具教の弟・具親が還俗し、北畠再興を図ったが果たせなかった。天正10年、本能寺の変で織田信長が倒れたのを機に、再び具親はこの五箇篠山城で挙兵したが、織田信雄軍に一蹴され、わずか2日で伊賀へ敗走した。朝柄地区と古江地区との境界にある標高140m、比高差約70mの完全な独立丘陵上にあり、周囲の自然地形を巧みに利用して築かれている。
【歴史】
ごかささやまじょう
TOPページへ
勢和振興事務所(旧勢和村役場)から国道368号で500m程北東へ進んだ「朝柄」信号を右折します(国道368号は斜め右)。この正面の山が城跡で、右折後すぐの突き当りを斜め右へ入り、道なりに坂を上がって行くと駐車場があります。城跡の前には図書館が、奥にはグランドがあります。