吉原氏城 |
主郭
別名 | |
所在地 | 名張市神屋字吉原 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 山林 |
築城年 | 天仁元(1108) |
築城者 | 吉原至行 |
歴代城主 | 吉原 |
形式 | 丘城 |
訪城日 | 2008/2/2 |
よしわらしじょう |
県道694号「吉原口」バス停を南に入り、100m程南下すると右手に「薬師寺」があります。この道路左手にお城の表示があり、川を渡った正面の小山が城跡です。 |
表示と登城口(奥)
お城の表示がある川向こう正面が登城口です。お城の表示から右手へ歩いて川を渡り、左手へと墓地を通り過ぎた右手から登ると途中まで道がありますが、途中から適当に右手へ直登しました。主郭は西・北・東に土塁が取り巻き、主郭の西側にも曲輪があって、その外側に空堀が巡っています。主郭の北から西側に切り込んだ削平地が幾つかあります。この北側(だったと思う)には、お墓と石仏がひっそりとありました。 |
この城は、この地一帯を支配していた土豪の吉原氏の本城です。吉原氏は伊勢国司の北畠氏の有力な家来でした。織田信長が家来に書かせた『信長公記』には、天正9年の伊賀の乱において、城の立て籠もって織田軍と戦った城主・吉原次郎を討ち取ったと記されている。この戦いでは、周辺の土豪だけでなく、織田軍に敗れ生き残った北畠氏の家来たちも、この城に駆けつけて戦ったと思われます。(現地説明板より) |