吉村氏城 |
主郭
主郭背後の堀切
別名 | |
所在地 | 名張市奈垣字塚根 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 山林 |
築城年 | 戦国時代 |
築城者 | 吉村又平 |
歴代城主 | 吉村 |
形式 | 丘城 |
訪城日 | 2008/2/2 |
よしむらしじょう |
奈垣集会所から県道693号を400m程北上した2本目の路地を右折します。100m程進んで左手前方向に上がっていき(右写真)、上がりきる直前で右手へと山へ入ると墓地があります。この墓地を回り込んだ先が城跡です。右写真付近の余白に駐車可能です。 |
登城口
お墓の横を通って城跡へ入ると30m四方ぐらいの二郭があります。この北東が主郭で、切り込んだ曲輪から見上げる土塁が高いです。主郭北東側の土塁上は一段高くなっており、曲輪となっていて、更にこの曲輪にも土塁が巡っています。見張台の役目をしていたのでしょうか。この背後(北東)には堀切があります。 |
戦国時代、吉村又平が築城した。吉村氏は下山氏の一族と言われる。天正9年(1581)柏原合戦で焼けた城跡に中原氏が移り住んだと伝えられる。吉村氏は、伊賀の乱時に織田軍の攻撃を受け、暫く大和の片山里に移り住んだと言われる。(『日本城郭体系参照10』) |