田矢伊予守城 |
別名 | |
所在地 | 伊賀市(阿山町)川合字城 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、説明板 |
現状 | 引接寺の裏、山林 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 田矢伊予守 |
歴代城主 | 田屋 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2004/6/26 |
たやいよのかみじょう |
石垣 |
県道673号でJR関西本線を北へ渡り、1km程北上すると道が左カーブして県道680号とぶつかります。この信号を左折し、「上川合」バス停があるすぐの路地を右折します。そのまま600m程西進すると正面に「引接寺」があります。このお寺の裏手丘陵地が城跡です。 |
お城へ入る手前に説明板があります。主郭の周囲には土塁が巡り、石垣もあるのですが、竹薮と雨のダブルパンチのせいで薄暗くて、肉眼でも視力の悪い私にはボヤけてしか見えません。せっかくの石垣なのに、ぼんやりとしか見えないせいで喜びがイマイチ湧いてこない。肉眼でそんなんだから、当然、写真だともっと暗いし竹薮撮ってるだけになっちゃいました。その上、突然、雨が本降りになったので引き返しました。あ〜残念!ちなみに、すぐ北には杉野氏館もあります。 |
天正9年(1582)、織田信長による伊賀侵攻(天正伊賀の乱)の際、玉滝口より攻め入った蒲生氏郷軍らに対し、城主・田屋三郎左衛門を中心に、河合地区の土豪達が城に集まり立て籠って戦った。この戦いで田矢(田屋)氏は討死したといわれる。 |
虎口 |