勝尾城

主郭から50m程東の2段の石垣を北から
別名 三ヶ山城、三上城、筑紫城三上山、勝山城、筑紫城、山浦城
所在地 佐賀県鳥栖市河内町貝方
遺構等 曲輪、石垣、横堀、竪堀、堀切、畝状竪堀、説明板
現状 山林
築城年 応永30(1423)
築城者 渋河義俊
歴代城主 渋河、筑紫
形式 山城(比350m)
筑紫神社から主郭まで約40分
訪城日 2007/11/24
かつのおじょう
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
長崎自動車道「鳥栖インター」から1km程南下した「田代代官町」信号を右折します。3km程西進して長崎自動車道をくぐり、更に2.2km程西進すると右手に「筑紫神社(筑紫氏居館)」があります。この神社から登ると主郭まで約40分です。神社の向かい側に広い駐車場があります。
【感想・メモ】
私は運良く鳥栖市教育委員会の方に案内して頂きました。林道から入ると5〜6分登れば二の丸です。ただ道に詳しくないと、林道の途中から入るのに案内も何もないので道に迷うと思います。二の丸は南北に2段の石垣が城壁のように続き、その下に横堀があります。この城は、曲輪の外を横堀で巡らせているのが特徴です。二の丸を北へ進むと西へ折れ、土塁を持った曲輪に入ります。鉄塔が西に見えます。鉄塔の北側を西へ進むと2段の石垣がまた壮観です。この南側は堀があり、ちょっと変わった雰囲気ですが、もともとは堀切だった場所を、城を改修した時に石を積んだようです。主郭も土塁があり、周辺を歩くと石垣が沢山見られます。主郭南側には物見岩と呼ばれる大きな岩がゴツゴツしており、その南西下には、また城壁のような石垣があります。主郭の北西下には畝状竪堀もあります。主郭南の枡形虎口にも石が積まれており、ここから登城道を下って途中左手へ入ると、広い大手曲輪があります。この付近も石垣があり、竪堀のように見えるのが、大手道だったといわれているとのことです。この大手曲輪も見応えたっぷり。九州の戦国期のお城でここまで石垣が使われているのは他に例を見ないとか。とにかく城のスケールの大きさにもびっくりな上に、石や土を巧みに使った築城にうならされます。
【歴史】
応永30年(1423)、九州探題渋川義俊が築城した。その後、明応6年(1497)頃に筑紫満門が入り、天正14年(1586)九州制覇を目指す島津氏によって落城するまでの約90年間、筑紫氏の本城として東肥前を中心に、筑前・筑後にまで勢力を誇った。
二の丸の石垣 二の丸の横堀 主郭から100m程南西下
の土塁と石垣
大手曲輪