羽柴秀保陣 |
別名 | 大和中納言秀保陣、鉢畠陣 |
所在地 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 |
遺構等 | 曲輪、土塁、石垣、碑、説明板 |
現状 | 山林、史跡公園 |
築城年 | 文禄年間(1592-96) |
築城者 | 羽柴秀保 |
歴代城主 | 羽柴秀保 |
形式 | 陣所 |
訪城日 | 2007/2/10 |
ここの陣跡は一部(第一陣)が整備され、残りは藪です。周囲を石垣で固め、曲輪内には土塁が巡り、礎石もあります。これだけでも楽しめるので、全体が整備されたらかなりの規模でもっと堪能できるんだろうなぁと思いました。 |
文禄元年(1592)、秀吉の朝鮮出兵のための戦略拠点となった名護屋城の周辺に築かれた有力武将の陣屋の1つで、羽柴秀保が築いた陣城。秀吉が没するまでの7年間繰り広げた「文禄・慶長の役」で、全国の主だった武将のほとんどがこの地に参集し、人口は最盛期には10万人をこえたともいわれる。名護屋城を中心に丘陵上には百数十の所将の陣屋が立ち並び、一大都市として繁栄した。羽柴秀保陣は、名護屋城の西方の要衝に配置され、第一陣と第二陣からなり、大規模で堅固な構えだった。秀保は、秀吉の姉婿三好吉房の子で、関白秀次・小吉秀勝の弟にあたる。そして、後に秀吉の異父弟秀長の養嗣子となり、秀長死後、大和郡山を所領として相続した。 |
はしばひでやすじん |
名護屋城西方「風呂尾呂」信号から国道204号を800m程南下し、左手に堀秀治陣跡を過ぎてすぐの路地を右折します。道が細いですが300m程進むと右手に上がって行く道を進み、途中の分岐も右へ進んだ道路終点が陣で、2〜3台駐車可能です(道が細く未舗装なため不安な人は山へ上がる手前から歩いた方がよいです)。 |