時枝城
別名
所在地 大分県宇佐市下時枝
遺構等
現状
築城年 応永年間(1394-1428)
築城者 時枝佐馬助惟光
歴代城主 時枝
形式 平城
訪城日 2006/11/24
交差点の角の、何かの駐車場から通りに見えるように、かなり立派な城址碑が立っています。
【感想・メモ】
応永年間(1394-1428)、大内氏が宇佐神宮に1600町を寄進し、そのうち1000町を益永肥前が支配し、残り600町を山下玄蕃が支配した。しかし、玄蕃に人望が無く追放され、その後に山城国慶安寺の子・惟光が下国して時枝氏と称した。弘治2年(1556)、時枝平大夫鎮継が城主の時、大友義鎮に降り配下となったが、密かに毛利氏と通じ、土井城主佐野親重と談合して大友方の光岡城を攻め滅ぼした。そのため、大友方の高家城主中島統次に時枝城を攻め落とされ、天正13年(15859鎮継は小早川氏を頼って落ち延びた。天正15年、豊臣秀吉の島津征伐で黒田孝高を宇佐郡に導いた鎮継は、中島統次を黒田勢の援護を得て攻め、天正17年に滅ぼした。
【歴史】

【道案内】
城跡の地図
糸口小学校から150m程北上し県道629号と交差する手前右手に石碑があり、この付近が城です。
ときえだじょう
TOPページへ