高城 |
別名 | 亀城、諫早城 |
所在地 | 長崎県諫早市高城町 |
遺構等 | 曲輪、碑 |
現状 | 諫早公園 |
築城年 | 文明年間(1469-87) |
築城者 | 西郷尚善 |
歴代城主 | 西郷、龍造寺(諫早) |
形式 | 山城(比40m) |
訪城日 | 2007/11/25 |
公園の階段脇に城址碑がありました。ここから登った山頂が本丸で、大きな楠がありますが、その前にお城についても書かれた説明書きがあり、その反対側が虎口です。本丸の西側には龍造寺氏が祀られています。また、公園の北側には眼鏡橋があるので、一緒に見て行くと良いでしょう。 |
島原鉄道「本諫早駅」から北西へ約700m。JR・島原鉄道「諫早駅」から南東へ約900m。高城神社・諫早公園が城で、神社に参拝者用駐車場があります。 |
たかしろ |
鎌倉末期から南北朝期にかけて、伊佐早荘中心部には伊佐早氏が居たが、まもなく史上から姿を消した。文明年間(1469-87)、西郷尚善が宇木城から諫早に進出し、まず船越城に入り、その後、本明川南岸に位置する周囲1kmの丘陵地に築城して移った。これが高城である。その後、尚善・純久・純堯の三代は西肥前の有馬氏と結んで繁栄したが、純堯の子・信尚は豊臣秀吉の島津征伐に際し、参陣・御礼をしなかったため所領を召し上げられ、天正15年(1587)龍造寺家晴に与えられた。その後、龍造寺氏も2代直孝(諫早氏と改姓)の時、佐賀の鍋島藩の支配下に組み込まれ、10480石を知行する家老格の家臣となった。 |