【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
|
松浦鉄道「潜竜ヶ滝駅」から北東へ約1.2km。潜竜ヶ滝駅から国道204号で300m程東進した信号を左折して、県道40号に入ります。道なりに2km程進むと左手に「吉井北小学校」があります。この学校の手前を左折します(道路に案内有)。学校の裏手に説明板があり、そこが登城口です。 |
【感想・メモ】 |
登城口から案内表示が行き届いていますが、藪がひどくて、「土塁」の表示があってもただの藪にしか見えません。シダが生い茂っていたので、冬でも見えないかも?登り始めて間もなく左手に竪堀が見えますが、これも藪だらけ。でも、5分程登ると見えてくる木戸跡は分かりやすく、雰囲気が良いです。主郭は東西に長くて120m程あり、東側に櫓台、西側に天守台があり、その前に城址碑が立っています。主郭の西側が二の郭で、ここから南へ進むと搦手です。搦手を進むと右手に竪堀ががあり、その先に郭がありました。井戸も残っており、全体に遺構がしっかり残っていて見応えのあるお城ですが、シダで見難いのが本当に残念です。 |
|
【歴史】 |
直谷城は、松浦党を代表する在地領主・志佐氏の居城だった。志佐氏は日本及び朝鮮の中世文書に名が登場し、7代・重(かさね)と8代・義(よろし)の時代(1400年代)には、東シナ海を舞台に、朝鮮国や琉球国との海上交易を活発に行っていた。所領は志佐を本拠としたが、戦国時代に志佐の陣の内城から直谷城へ本拠地移動があったと考えられる。戦国期、龍造寺・大村連合軍や松浦隆信(平戸)に攻められ、ここに長く立て籠もって戦っていたと考えられる。最終的に、この地の覇権は戦国大名となった松浦隆信に移った。その後、元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となった。 |
|
|
|