| 深堀陣屋 |
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| 別名 | |
| 所在地 | 長崎市深堀町5丁目 |
| 遺構等 | 石垣、碑、説明板 |
| 現状 | 純心幼稚園 |
| 築城年 | 江戸初期 |
| 築城者 | 深堀純賢 |
| 歴代城主 | 深堀 |
| 形式 | 陣屋 |
| 訪城日 | 2007/11/26 |
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| ふかほりじんや |
| 深堀小学校の西側、純心幼稚園付近が陣屋跡です。深堀小学校北側の通りを200m程東進すると左手に「深堀合同庁舎」があります。ここを左折して50m程北上した突き当りを左折した付近一帯が深堀武家屋敷跡です。周辺は道路が狭く、駐車場もないので、注意してください。 |
武家屋敷
| 純心幼稚園の前に、石碑と説明板があります。ここから東の深堀小学校沿いに水路があり、石垣が見えますが、これらは往時のものか?また、武家屋敷跡にも石碑と説明板があり、石塀や石垣があったりして、とても良い雰囲気です。 |
| 建長7年(1255)、この地に深堀能仲(鍋島家の始祖)が地頭として下向した。深堀氏は本姓は三浦で、上総国深堀(千葉県大原町)の出身である。能仲が承久の乱(1221年)の勲功により戸八ヶ浦と呼ばれたこの地に下ると、この地は領主の名をとって深堀と呼ばれるようになった。以来、この地に在住した深堀氏は長崎氏と絶えず対立した。戦国時代、深堀純賢は、大村純忠に臣従する長崎純景に対し、佐賀の龍造寺隆信に従って対抗したが、龍造寺氏に代わって鍋島氏が勢力を誇ると、深堀氏は鍋島氏に臣従して近世に及んだ。近世では、深堀氏は鍋島氏の家老となって鍋島を称し、知行地は佐賀藩の飛地となり、同氏の館は陣屋と呼ばれた。 |