都於郡城
別名 浮舟城
所在地 宮崎県西都市都於郡町
遺構等 曲輪、空堀、土塁、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 建武4(延元2,1337)
築城者 伊東祐持
歴代城主 伊東、島津
形式 山城(台城)
訪城日 2006/11/20
【道案内】 城跡の地図
「都於郡小学校」北側の通りを500m程西進すると城跡見学者用の駐車場があります。城跡は駐車場の北西側です。遠方から道路に案内が出ており、駐車場に案内図もあります。
【感想・メモ】
駐車場から城跡まで道路を歩いていたら、突然目の前に大きな堀切が飛び込んできてびっくり!こんなにスゴイ堀があるなんて・・・奥の城と本丸の間の堀切でした。本丸の西側に二ノ丸、更に西に三ノ丸があり、三ノ丸の南に西ノ丸があります。また、本丸の北側に奥ノ城があります。城内は遊歩道が整備され、土塁などは固めてあったりします。それにしても、とにかく広大な城域に、広い曲輪、深い堀と、すっごく気持ちよいお城です。曲輪から見える隣の曲輪がまたカッコよく見えます。1つ1つの曲輪は同じような造りで、土塁もありますが、どこまで行っても、どこから見ても素晴らしくて、感動します。超オススメ!近くに、まだ幾つかの城砦があるのですが、時間の都合でパス。今度来る機会があったら、この近辺だけで1日費やしたいと思いました。
【歴史】
建久元年(1190)、工藤左衛門尉祐経は鎌倉幕府から日向国の地頭職に任ぜられた。祐経の嫡男・伊東祐時から6代目の祐持は足利尊氏に従って勲功を認められ、建武2年(1335)都於郡300町を賜り、一族を連れて伊豆から移った。この祐持が都於郡伊東氏の初代となり、建武4年(延元2、1337)城を築いて城主となった。2代目・祐重が山城として改修した。その後、約240年間、日向国を掌握した伊東氏が本城としたが、天正5年(1577)12月、10代目伊東三位入道義祐の時、島津氏に敗れ都於郡城は落城し、伊東氏は一族を連れて豊後に落ち延びていった。
とのこおりじょう