【道案内】 |
城跡の地図 |
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鶴松館背後の山が城で、鶴松館に無料駐車場が完備されています。 |
【感想・メモ】 |
復元御殿に向かって左手背後に登城口があります。道は整備され、堀底道のような登城道を7分程進むと堀切に出て、そこから少しで曲輪に出ます。その曲輪の左手奥へ行くと虎口があり、突然広い本丸に出ます。本丸は見通しや眺望がよく、とても気分がいいです。また、土塁が巡っており、奥の一段高い部分が天守台で石塁があります。南九州の城で天守台があるのは珍しく、金箔瓦も出土したそうです。順路に従い天守台背後から下りて行くと、行きと違う道で下山します。途中、岩盤が切り立った堀切があり、もう少し下りると右手に井戸がありました。 |
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【歴史】 |
建武年間(1334-38)、伊東氏の一族田島休助が築城した。応永34年(1427)頃、日向国に勢力を伸ばしてきた伊東祐賀が入城し、文明12年(1480)以後、伊東氏48城の要の城として整備された。元亀3年(1572)、日向国支配をかけ戦った木崎原の戦いで、伊東氏は島津義久に敗れ、義久の実弟・家久が城主として入った。天正15年(1587)、豊臣秀吉が九州進行し、義久は秀吉傘下となるが、佐土原は家久に安堵された。家久死後、子・豊久が継いだが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で戦死した。その後、幕府直轄領となったが、慶長8年、島津以久が3万石で入封し、以後明治まで続いた。 |
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