水俣城
別名
所在地 熊本県水俣市古城1丁目
遺構等 石垣、曲輪、井戸、碑、説明板
現状 城山公園
築城年 南北朝期
築城者 水俣氏
歴代城主 水俣、本郷、相良
形式 平山城
訪城日 2006/11/22
西側から公園に入ったらグランドに1〜2段の低い石垣があります。その付近に城址碑と説明板もありました。公園の小高い方へ登ると曲輪があり、本丸には稲荷神社が鎮座していました。本丸の一段下にはすごく立派な井戸があって感激します。この井戸が一番の見所です。
【歴史】
治承5年頃(1181)、水俣四郎が砦を築いたのが最初と言われる。南北朝時代、名和長利の孫、顕興の家来、本郷家久が南朝方として居城した。以後、球磨の相良氏の支配となった。天正7年(1579)8月、島津家は伊勢守忠春を大将として、千八百余騎をもって、水俣城を攻めた。天正9年、島津氏は大軍を率いて水俣芦北地区に侵入した。難攻不落の水俣城もついに落城し、それ以来島津領となり、地頭が派遣された。天正15年、秀吉の九州征伐により水俣は豊臣家の直轄領とし、深水三河守に預け以後は、寺沢志摩守領と変わり、慶長6年(1601)から加藤清正領となった後、中村将監正師が城代として派遣された。慶長17年の幕命により、水俣城は宇土、矢部城と共に壊された。
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【感想・メモ】
加藤神社の隣にある城山公園が城で、公園に無料駐車場が完備されています。

【道案内】
城跡の地図
みなまたじょう