城跡の地図
鶴丸城
別名 鹿児島城
所在地 鹿児島市城山町
遺構等 曲輪、石垣、堀、碑、説明板
現状 黎明館(県歴史資料センター)
築城年 慶長7(1602)
築城者 島津家久
歴代城主 島津
形式 平山城
訪城日 2006/11/21
【道案内】


【感想・メモ】
つるまるじょう
【歴史】
TOPページへ
鹿児島市役所から北西へ約200mの所にある「黎明館」付近一帯が城跡です。周辺に有料駐車場がありますが、「黎明館」に入る場合は、黎明館の駐車場(南西側に有り)に停めると駐車料金が無料となります。
黎明館の中は資料館になっていて楽しめます。この付近、見所が多い上、広いので見るのに時間がかかります。私はもっと黎明館の資料をゆっくり見たかったのだけど、時間の都合で駆け足になってしまいました。黎明館の前に水堀や石垣が残り、城址碑もあります。
島津氏は、初代忠久が源頼朝に薩摩・大隅・日向3国の守護職に任じられて以後、南九州を拠点に一大勢力を誇っていた。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐に降伏した島津義久は、旧領を安堵された。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍に属した義久の弟・義弘は、慶長7年家督を家久に譲った。家久は島津氏の本城として鶴丸城築城に着工し、慶長9年完成した。77万石の大名が大城を築かなかったのは、徳川幕府に恭順の意を表わすためだったといわれる。しかし、島津藩は領内に郷を単位として百を越す外城を築き、元和元年(1615)一国一城令によって外城の建物は形式的に壊したが、要害としての外城は「麓」と称して明治まで温存した。