千々輪城 |
別名 | 谷山本城 |
所在地 | 鹿児島市下福元町本城 |
遺構等 | 曲輪、空堀、土塁、碑 |
現状 | 山林 |
築城年 | 建仁年間(1200-1204) |
築城者 | 谷山信忠 |
歴代城主 | 谷山、伊集院、島津 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2007/11/28 |
登城道はしっかりしており、山へ入って100m程進むと社殿(伊勢神社)があります。その一段上の東側が主郭で、土塁が巡っています。主郭の北東部の土塁は特に分厚く、そこに愛宕神社があり、社殿の前に城址碑があります。城跡には空堀やシラス台地が侵食された独特の地形が見られますが、空堀部分は藪が生い茂っていました。 |
建仁年間(1200-1204)、谷山信忠が築城し、その後約200年にわたって谷山氏が居城した。文永9年(1272)、島津氏2代忠時の孫・忠真は谷山郡の地頭職に任ぜられ、その子宗久郡内の山田・北別府村の地頭職を譲与され、宗久の子孫は山田村に住して山田氏を称した。これより地頭山田氏と郡司谷山氏との間に土地支配を巡って争いが起き、南北朝期には南朝方の谷山氏は北朝方の島津氏と武力衝突を繰り返した。応永4年(1397)、島津元久に攻められ、谷山氏は退去した。応永24年、伊集院頼久が島津氏に背いて千々輪城へ入ったが、島津久豊が行軍して敗走させた。大永7年(1527)、薩州家島津実久が本家に背き谷山を掠奪して千々輪城に在番を置いたが、天文8年(1539)島津貴久が攻略し、島津氏宗家が領した。 |
JR指宿枕崎線「慈眼寺駅」から北西へ約400m。慈眼寺駅東側道路を100m程北上して川を渡り、更に250m程北上した2本目の路地を左折します。300m程西進すると左へ入る細い路地があり、ここから山へ入ると城です。周辺は道が狭く、駐車スペースがないので注意して下さい。 |
ちぢわじょう |