垂水本城 |
この集落は過疎化が進んでいるのか、空き家が多くて家が荒れてきていました。集落の間から山へ入り込んで行くと、墓地の付近が城跡かと思ったのですが確信が持てず。 |
別名 | |
所在地 | 垂水市本城上本城 |
遺構等 | 曲輪、空堀 |
現状 | 山林 |
築城年 | 応永19年(1412) |
築城者 | 伊地知季豊 |
歴代城主 | 伊地知 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2007/11/28 |
たるみずほんじょう |
国道220号「新垂水フェリー前」信号を東へ入り、2km程東進して右折します。垂城神社を右手に過ぎて120m程南下すると突き当たるので右折します。この集落の南側の山が城跡です。 |
応永19年(1412)、伊地知季豊が島津豊久から垂水本城村を与えられ、この地に築城し、代々本拠とした。伊地知氏は秩父の豪族畠山重忠の後裔と言われ、鎌倉時代、越前国吉田郡伊地知郷を領して伊地知姓を称した。延元年間(1336-40)伊地知季随は所領を足利尊氏に没収され流浪中、島津貞久の客将として迎えられた。観応2年(正平6、1351)島津氏久は南朝方の菊池武光と戦って大敗し、伊地知氏は島津氏の恩顧に報いるため氏久の代わりに戦死した。季豊はこの季随の孫である。9代重興は肝付氏と姻戚関係を結び、肝付・伊地知・禰寝連合軍として島津貴久と戦ったが敗れた。その後も島津氏と戦いを続けたが、文禄4年(1593)降伏し、所領を失った。 |