長寛2年(1164)、富山五郎太夫藤原義光が禰寝北俣院の荘園領主として来住した。その子・小太郎義明が大姶良方面を領し、城を築いて4代が居城した。14世紀中ごろ、大姶良は楡井・禰寝氏の争奪の中心地となったが、一時島津氏久が在城した。長子元久はこの城で生まれた。享禄3年(1530)、肝付兼興が勢力を盛り返し、次の兼続の時には完全に肝付氏の支配下となった。
大姶良城
別名 看経城、大姶良内城
所在地 鹿児島県鹿屋市大姶良町城内
遺構等 曲輪、堀切、土塁、水堀
現状 山林
築城年 鎌倉初期
築城者 富山義明
歴代城主 富山、楡井、禰寝、島津肝付
形式 平山城(比30-50m)
訪城日 2007/11/29
参河神社から300m程西にかけてが城で、神社から500m程西進して左折し、川を渡った左手の小山も城跡です。付近の余白に駐車可能です。
城跡の地図
【道案内】

参河神社
【感想・メモ】
参河神社から山へ入ろうと思ったら藪がひどかったので諦めました。神社から西へ歩くと大姶良麓で、雰囲気が残っています。川を渡った先から山へ入れそうな場所を見つけたのですが、上へと登れそうになくこちらも断念。下のほうが何となく空堀のように見えました。
【歴史】
おおあいらじょう
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