市来鶴丸城
登城口の地図
城跡の地図
【道案内】
JR鹿児島本線「東市来駅」から北へ約1km。鶴丸小学校西側道路を50m程北上した神社前に車を停め、そのまま北へ進んだ、城の説明場と鶴丸城跡まで230mの表示がある所が登城口です。
江口川下流右岸、標高106mの城山を最高地点とするシラス台地にあり、およそ南北に600m、東西に500m、面積20万平方メートル、鶴丸城と呼ばれる曲輪群と御惣坊城と呼ばれる曲輪群から成り、中世末には市来城本城と呼ばれていた。13世紀初頭、市来家房が最初の城主で、建武4年(1337)市来院司系惟宗姓市来氏で御家人であった市来時家と島津貞久の子・川上頼久がこの城で合戦したと伝えられる。15世紀半ば頃には守護島津家領となり、15世紀末に島津薩州家領となった。天文8年(1539)島津相州家から戦国大名となった島津忠良・貴久領となったが、16世紀末に役目を終え廃城となった。天文19年6月、イエズス会の宣教師ザビエルが鹿児島から平戸へ向かう途中、この城に滞在し、同年8月、再度平戸へ向かうため市来湊から乗船するため当城に12日間滞在した。(現地説明板より抜粋)
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【感想・メモ】
登って行くと郭をいくつか過ぎながら立派な横堀や竪堀、堀切が見えます。主郭には碑があり土塁が巡っています。城内は見やすく堀を楽しめます。
【歴史】
いちきつるまるじょう
別名 鶴丸城、城山古城、大根城、貝吹ヶ城、平之城、般若城
所在地 鹿児島県日置市東市来町長里
遺構等 曲輪、土塁、堀切、礎石、碑、説明板
現状 山林
築城年 平安・鎌倉時代
築城者 市来院郡司大蔵氏
歴代城主 市来院、島津、新納
形式 平山城(比60m、標100m)
登城口から主郭まで約8分
訪城日 2007/11/28