安楽城
別名
所在地 鹿児島県志布志市志布志町安楽字宮下
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 建久年間(1190-99)
築城者 安楽平九郎為成
歴代城主 安楽、新納、島津、肝付、島津
形式 山城(比20m)
登城口から本丸まで約5分
訪城日 2007/11/29
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鎌倉幕府が成立した建久年間(1190-1198)には、伊佐平氏系の安楽平九郎為成が当地の地頭弁済使であり、この安楽氏が最初の城主とする説がある。その後、新納氏(志布志松尾城城主)の出城となり、更に戦国期の天文7年(1538)島津忠朝が攻略し、天文13年には肝付兼続が一時領有した。永禄5年(1562)肝付氏が再度攻略したが、天正4年(1576)志布志は島津氏の所領となり、天正5年鎌田政近の志布志地頭補任により安楽城の役目は終わった。城は南東から北西に伸びたシラス丘陵の先端に立地し、南東から北西に向けての約220m、南西から北東に向け最大幅約130mの範囲が主要部である。
【歴史】
城址碑の左手から山へ入って行きますが、いきなり藪です。空堀があるのが分かるのですが、藪だらけ。本丸も入口の表示が見えますが、藪がひどくてこれ以上中に入れません。どこもかなりヒドイ藪で、ほとんど何も確認できませんでした。
【感想・メモ】
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】
安楽小学校から西側道路で400m程北上して左折します。150m程西進すると、道路左手に城址碑と説明板があり、その前が駐車場になっています。ここから南の小山が城跡です。
あんらくじょう