小山御殿 |
別名 | |||
所在地 | 栃木県小山市中央町1 | ||
遺構等 | 横堀、説明板 | ||
現状 | 小山御殿広場 | ||
築城年 | |||
築城者 | 徳川将軍家 | ||
歴代城主 | 徳川将軍家 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2009/7 | 感想 | ○ |
史跡指定されたためこれから整備するようで、発掘調査中でした。広場の入口に説明板があり、奥(西)には立派な空堀がありますが、この空堀は小山城のもの?御殿のもの??広場の東側で交差する通りは「祇園城通り」「小山評定通り」で、歩道橋に通り名が書いてあるのを発見して何だか嬉しくなっちゃいました。 |
小山駅から西北へ約500m。小山市役所のすぐ北側にある「小山御殿広場」が御殿跡です。広場に駐車場がないため、市役所か北側にある城山公園の駐車場を利用すると良いでしょう。 |
小山御殿は、徳川将軍家の日光社参の際、休憩・宿泊所として設置された。慶長5年(1600)関ヶ原の戦い直前に行われた「小山評定」の吉例にならったものといわれている。元和2年(1614)4月17日に徳川家康が没し、翌年日光東照宮に遺骸が改葬され一周忌が営まれた。それ以来、日光は徳川将軍家の聖地となり、将軍家の日光社参は19回におよび、なかでも三代将軍家光は10回日光参詣を行った。小山御殿は周囲に堀が廻り、土塁が二重に築かれ、敷地内には16箇所に番所が設けられるなど厳重だった。将軍家の日光社参は寛文3年(1633)四代将軍家綱が行って以降、八代将軍吉宗が享保13年(1728)に再開するまで財政難のため中絶した。その間に大風によって建物の一部が損壊し、小山御殿は天和2年(1682)古河藩によって解体された。(現地説明板参照) |
おやまごてん |