興聖寺城 |
別名 | 清水城 | ||
所在地 | 栃木県佐野市(田沼町)吉水町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板 | ||
現状 | 興聖寺 | ||
築城年 | 安貞2年(1228) | ||
築城者 | 佐野国綱 | ||
歴代城主 | 岩崎氏、佐野氏 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2010/6 | 感想 | △ |
お寺の前に標柱と説明板があり、お寺に本丸土塁と横堀が残っていますが、城跡の西側は道路建設によって完全に壊されています。城跡の規模は、東西116m、南北133mのほぼ方形で、本丸・北二の丸・南二の丸・三の丸から構成され、各曲輪が水堀で囲まれ、更に城域全体も水堀で囲まれており、周辺には侍屋敷があり、有力な家臣が配置されていたとのことです。 |
安貞2年(1228)、佐野基綱の子国綱が佐野一族の岩崎義基のために築いたといわれるが、国綱が佐野庄吉水郷に住んで吉水太郎と称したという説もある。以後岩崎氏が居城したが、永正年間(1504-21)義基12代の孫・重長が岩崎城へ移り、大永元年(1521)佐野季綱が居城した。季綱はこの城にあまり居城せず、家臣の田沼・中江川・天沼・清水・今宮の諸氏が交替で守備し、その後山田若狭守が城代として長く居城した。慶長19年(1614)佐野氏改易に伴い、この城も廃城となったと思われる。興聖寺は寛永12年(1635)田之入町からこの地に移った。 (『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
東武鉄道佐野線「吉水駅」から北北西へ約600m。北関東道「佐野田沼インター」から県道16号で600m程南下して高速をくぐり、すぐを左折して200m先で右折します。300m程南下した右手に興聖寺があり、ここが城跡でお寺に参拝者用駐車場があります。 |
こうしょうじじょう |