金丸氏要害
別名 金丸要害
所在地 栃木県大田原市(黒羽町)片田
遺構等 曲輪、空堀
現状 山林
築城年 室町時代
築城者 金丸氏
歴代城主 金丸
形式 山城
訪城日 2007/5/12 感想
本丸と三の丸の間の堀切がいきなり車の中から見えて驚嘆します。かなりスゴイ規模に圧倒され、城跡に期待が膨らみます。本丸の周囲には空堀が巡り、西北の土塁上には祠があります。本丸の北西が二の丸で、この間の堀切がまた素晴らしい!本丸の南側が三の丸で本丸と同じぐらいに広いですが、藪で見通しが悪いです。三の丸の南にも曲輪があり、どこの堀も見応えたっぷり。ただ、藪がひどくて入れない所があるのが残念です。
【感想・メモ】


【道案内】
城跡の地図
片田小学校から南へ約500m。うる覚えなのですが、片田小学校南側の県道27号を500m程東進すると南に入る路地があり、そこから林道に入ります。林道に入って最初に二手に分かれる道を左手へいきます。そのまま道なりに300m程進むと右手に立派な堀切が見えます。ここが本丸と三の丸の間の堀切で、この付近に駐車可能です。ただし、林道は未舗装の悪路ですので、運転に自身のない方は、林道手前から歩いた方が良いと思います。
かねまるしようがい
【歴史】
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金丸氏は、正平年間(1346-1370)、那須資藤の次男資国が金丸に分地され金丸氏と称したのを祖とする。金丸氏要害は、応永年間(1394-1428)、それまでの金丸氏の居城・根小屋館から居を移したものと言われる。以後、上那須家の内紛などにより、天正18年(1590)、金丸義胤が大関氏家臣となって西麓に館を築いたため、廃城となった。