猪倉城 |
別名 | |||
所在地 | 栃木県日光市(今市市)猪倉 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、堀切、説明板 | ||
現状 | 山林(泉福寺背後) | ||
築城年 | 大永年間(1521-1528) | ||
築城者 | 鹿沼右衛門 | ||
歴代城主 | 鹿沼氏 | ||
形式 | 山城(寺から比110m) 登城口から主郭まで約10分(標高420m) |
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訪城日 | 2010/3 | 感想 | ○ |
登城道は整備されていて、10分程で主郭東下の腰曲輪に着き、「猪倉城ここにありき」の石碑があります。主郭は土塁が取り巻き、神社が祭ってあったり説明板があります。背後には横堀や堀切があり、一段下には武者隠しのような遺構もあります。また、あちこちに石も見られ、石列になっている部分もあります。藪で見にくい部分もありますが、遺構を楽しめるお城です。 |
主郭
正応年間(1288-1293)鹿沼権三郎入道教阿が築城した説と、大永年間(1521-1528)鹿沼城の支城として鹿沼右衛門が築城したがある。天正4年(1576)鹿沼城主壬生綱雄は徳節斎と称した叔父壬生周長と壬生家臣の猪倉城主鹿沼右衛門に暗殺された。徳節斎らは一挙に壬生氏嫡流を滅ぼそうとしたが、逆に綱雄の嫡男壬生義雄に攻められ敗北した。この時、猪倉城は壬生義雄方の板橋城主・板橋将監親棟に攻撃され落城した。右衛門は多気山城へ逃げ延びる途中、猪倉と板橋の中間にある手岡で討たれたと伝えられる。城は北から西方にかけて急斜面、東と南側はやっと登れる様な斜面で、水田面からの比高190mの天然の要害であり、地形を巧みに利用している。山頂の中心部は東西22.5m、南北24.5mの楕円形に近い台形、更に下って削平地が連続し、部分的に土塁の跡が残っている。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照) |
県道22号で日光宇都宮道路を南へくぐると、右手に猪倉小学校があり、この付近から「泉福寺」の案内があるのでそれに従い泉福寺を目指します。泉福寺に駐車させて頂き、本堂を過ぎると、山へ登っていく道がありますが、ここを左のお堂へと石段を上がり、そのままお堂を通り過ぎると猪倉城の案内があります。ここが登城口で、案内に従い右手に登っていきます。 |
武者隠し?
いのくらじょう |